こっくん道場

南の島から東大に来た僕が日々思うアレコレ

今日における大学の存在意義とは

かなりご無沙汰しています。こっくんです。ブログでのアウトプットをしている余裕がちょっとありませんでした・・・。今もあまり余裕はないのですがどうしてもパブリックに向けて疑問を提示して様々な意見を聞きたくなったのでブログの編集画面を久々に開いている次第です。

内容はタイトルの通り、大学って一体何のためにあるんだろうというテーマです。では、早速本題に入っていきましょう。

大学の意義を見失う学生が大量発生

私の大学のミスコン参加者でも、大学の意義に関するセンシティブな意見を述べてSNSを炎上させている方がいましたが誰もが改めて考え直すべきテーマだと思います。東京大学という比較的学問に力点を置く学生の割合の多い大学であっても、インターンシップ等で大学の講義にはほとんど出ないという人や大学の意義を見失っている人は少なくありません。文系の人間は特に大学に通う意義を見失っている人が多い印象です。

文系の人間にとってゼミや研究室での学び以外は、基本的に学ぶことがないという意見が出てくるのは無理のないことだと思います。自分の学ぶ学問領域を体系的に把握して自分の学ぶ分野とある他の分野がどのように関連しているかを考えて日々の講義を受けられている人なんて東大でも多くはないでしょう。でも、それでいいのでしょうか。

これから、今までで最も濃い霧の中で前に進んでいかなければならない日本が大学という研究の場を軽視してもいいのでしょうか。

大学=「本質を追求するトレーニングの場」

大学に何年か通った人間として感じるのが、「大学の最大の存在意義が物事の本質を粘り強く追い求める癖やノウハウを実践で身に付けていくことのできる場という観点から言える」ということです。大学で学ぶことは社会で役に立たないとか、学歴を使うためだけに大学に通っているとか言っている人間は大学の役割の表面的な部分しか見れていないと思います。確かに、大学で学ぶ理論等の「知識」は直接社会で役に立つことはなかなか多くはないと思います。むしろ重要なのは、学術的な理論等の知識や自らの仮説を元に本質的な答えを自分なりに結論付けるまでの過程の中での経験だと思うのです。

だからこそ大学側としても、その経験の重要性やその経験をよりよく得ていく仕組み作りを改めてやっていかなければならないと思います。個人的には学部生でも取り組み方によっては、ある程度本質を追求する力はつけられると思うので(というより学部生でもその力がつけられるようなシステムは作れるのでは)学生側の意識改革と大学側の制度改革はどんどん積極的にやっていくべきです。

自分で本質を追求する力が備わった人間は大学など行く必要ない 

上記のように述べましたが、大学を単純に知識の習得の場として捉えるのであれば大学なんて行く必要がないとも考えています。大学は職業訓練学校ではありませんのでね。ただし、最低の条件として本質を追求する癖が付き力も備わっているということは必要です。

その力がないくせに、巷のインフルエンサー等の意見を鵜呑みにして大学なんて俺はいかないゼ☆みたいな単純な動機でそのまま社会に出てもらうのは社会にとってあまりポジティブな傾向ではないかと思います。

ここで若干、幼児教育から小中高までの教育について触れておくとこのような本質を追求する癖付けを行うことができる環境が今後選ばれていくだろうと考えています。

また、結構売れているらしい大学4年間分が10時間でサクッと学べるシリーズの写真を貼っていますがもう私の考えを述べるまでもありませんね。正直、最低限の知識を明瞭に書いているので最初の取っ掛かりとしては非常に効果を発揮するのでぜひ活用されてみてください(ちなみに経済関連の知識を多少持っている僕は50分くらいで読み終えました。)ただ、こういう本があるのをみて大学の意味を見失う人が増えないことは切に願っています。

まとめ

全く文章の推敲ができていないので読みづらい箇所や論理が通ってない箇所があるかもですが、ぜひ大学について改めて考えるきっかけとなってくれたら書いた甲斐があります。また、時間ができたら自分なりに文章を綺麗に編集したり事項を増やしたりしたいと思います。では、戻ります!

また!